人が笑顔になれる場所づくりに、人生をかけたい

–株式会社glaminka代表・クリエイティブディレクター 大野篤史さん

佐用町で住民のほとんどがいなくなった集落をまるごと改修し、グランピングが楽しめる古民家宿泊施設「glaminka SAYO(グラミンカ佐用)」として生まれ変わらせた大野さん。

“覚悟”を胸に「人が笑顔になれる場所づくり」に人生をかけた大野さんの、これまでとこれからについてロングインタビューを行いました!

起業とは。 覚悟とは。

ダイジェスト版はこちら >>> http://sayo-hoshifuru.biz/

■まずは、起業のきっかけを教えてください。

—起業前には札幌と神戸で10数年間、小学校の教師をしていました。学校での授業は、アイデア1つで子どもたちの表情が大きく変わります。クリエイティブな要素が大きい仕事を楽しんでいましたが、新しい環境でチャレンジしたいという気持ちがわいてきていました。

そんなとき、神戸市での同期だった大西猛さん(現・株式会社glaminka代表取締役)が、教師を辞めてカナダに留学していることをたまたまSNSで知ったんです。それで、帰国したときに会おうとコンタクトを取りました。同じ教師をしていたときにはお互い変わったヤツだな、くらいの認識で普段は特に付き合いもありませんでしたが、出会って10年後に改めて連絡を取ったんです。

会って話しているうちに、彼と僕には「人が笑顔になれる場所づくりをしたい」という思いが共通していることがわかったんです。それで、一緒にやってみよか、と合流したのが始まりです。

最初は、京都でインバウンド向けに古民家を改装して日本のおもてなしをしてみようかと考えました。しかし京都は激戦区で、相場も高い。僕にはいまいちピンと来なかったんです。そんな中、国内では14年ぶりに新しいスキー場ができるというニュースが飛び込んできました。僕はスノーボードがすごく好きなので、それならとスキー場ができた神河町で古民家の物件を探すことにしました。すると売りに出されたばかりの、高台にある物件に出会いました。そこは景色がよくて、僕はとてもワクワクしたんです。

ちなみに、僕が場所を見るポイントは3つあります。

1)その場所に立ったとき、人が笑顔になるか。

神河町の物件の高台から最初に景色を眺めたとき、人が笑顔になるイメージができました。

2)地方の景色は基本的に、田-古民家-田-古民家の繰り返し。ここに、新しい風が吹いているかどうか。

風が吹いているところには、移住者の人が来ています。僕は、そのかたがたがお店などをされていれば、そこに話を聞きに行きます。

3)役場に行くと、新しい風を取り入れようとがんばっている職員さんに出会えるか。

この、1)、2)、3)がそろったとき、ここでやろう、となります。

当時、古民家改装は事例も多く、何か違うことをしようと思いました。そこで、アウトドア要素であるグランピングと古民家を組み合わせることにしました。昔の人の暮らしって、五右衛門風呂に入ったり川で洗濯をしたりと、意外とアウトドアなんですよね。

とはいえ、やりたいことに対して資金は少なかった。なら自分たちでやろうと考えたんです。つくり始めると作業が楽しかったので、ワークショップを開きました。すると約40人もの人が集まったんです。とてもハードでしたが、お昼ごはんを一緒に食べて作業を終えたときにはみんな満足そうで、また来たいと言ってくれました。このとき、現場をオープンにして共有することにはとても価値があることだと感じました。

こうして出来上がったのが今の「glaminka KAMIKAWA」です。今では稼働率も高い状態ですが、オープンして約3ケ月はお客様が来なかったんです。5月のゴールデンウィークごろから予約が入るようになり、軌道に乗っていきました。田舎であってもコンセプトをしっかりと提供していれば来てもらえるんだと確信しました。

グラミンカのコンセプトは、ゲストハウスのようなあたたかさと、ホテルのような快適さの間を提供することです。神河では、お客様からアンケートで満足度について高い評価をいただいています。特に、スタッフとの距離が近いこと、また地域の人と交流できることに対して喜んでいただいています。近くのおばあちゃんとかがお客様に声をかけてくださるんですよ。季節になればお風呂にと柚子をくれたり、柿採りをさせてくれたりする。地域の人も、人が来るのがうれしそうなんです。お客様も都会にはないあたたかみを感じることができて、この循環にはすごい力があると感じています。

佐用町で、グラミンカは2カ所目になります。神河での交流×古民家という組み合わせを考えたとき、ここでは周りに人が住んでいないので、交流する場所と機会を僕たちが作らないといけない。これからつながりを作っていく中で、例えば元々ここに住んでいた人もお墓参りの帰りに寄ってもらえたりしたらいいなと思っています。

最初、佐用の皆さんがたくさんここに見に来てくださって、施設内にあるいろいろな物やエピソードなどを紹介したんです。そしたらさらにそのかたが家族や友人を連れてきてくれて、次はまるで自分事のように「ここはな、こうなんや」って紹介してくださるんですよね。最近では、県立佐用高等学校の農業科学科で、地域資源を活用する授業があり、声をかけていただきました。皆田和紙保存会とも連携しています(※皆田和紙…佐用町上月地区に伝わる和紙。兵庫県伝統的工芸品指定)。近くの子ども会が、地元を好きになってほしいと、夏の宿泊体験で利用してくれたりもしました。加古川のかたからコラボの話もいただいています。

他にも高校生が貸し切りレストランをしたり、ここで結婚式をしたりと、たくさんの地域のかたと交流することで、グラミンカという場所に愛着をもってもらえたらうれしいですね。いろいろな人に絡んでもらいたいです。

glaminka SAYOができるまでの話を聞かせてください。

—人が集まる場所を、人が集まる方法で作りました。6,7人の大工さんと、グラミンカスタッフ、そして大学生など。30人で半年間、DIY(Do it Yourself)の大きなバージョンをやりました。「DIYで集落は再生できるのか」という、ある種の社会実験でしたね。

大学生のインターンの子たちは、このプロジェクトを通してさまざまな体験ができたと思います。この先、彼らが人生の岐路に立ったとき、判断材料のひとつにもなるのではと願っています。第1回さよう星降る町のビジネスプランコンテストのファイナルのプレゼンでも話しましたが、彼らにとってここは「何度でも来たい場所になった」んです。

僕は佐用町の人も町外の人も佐用に愛着を持つことが大切だと思っているんですが、一緒に手を動かしたことが、彼らの佐用への愛着につながりました。半年間、ものすごくハードでしたが、新しい集落再生の形になったと思います。

佐用での集落再生は6棟に及び、神河の1棟のみを運営している僕たちにとっては大きなリスクを伴うものでした。だけど新しいことにチャレンジしようと起業したんですから、ワクワクしている気持ちが止まらない中で、やめるという選択肢はない。おもしろいことをやるんです。リスクを伴ってやらないと、本当に良いものはできない。リスクを取るから本気になれるとも言えます。

1年間におよぶ佐用での作業はものすごくしんどかったです。楽観視もしていませんでしたし、常に本気でチャレンジしていました。

チャレンジを大切にしていく中で、30人の仲間をひっぱっていくために、リーダーである僕は、しんどいけどしんどい顔をしないようにしていました。弱音を吐くわけにいかなかったんです。プライドを持って取り組んでいました。その分、ビジコンが終わってから1ケ月くらいは放心状態になりましたね。体も心もオフになりました。ただ、施設は半年の作業が終わってもまだ完成にはほど遠く、さらに冬には想像を超える寒さがやってきて追加の工事を強いられて、もう泣きそうでした。ほんとにがんばりましたね笑。

■そこまでできるのは、「ワクワク」があるからですか。

—先ほどリスクを取らないと良いものができないと話しましたが、それは心がまえの問題です。実際には条件が揃わないと、たとえお金があっても場所的にワクワクしないとGoにはならない。やりたいことはこれじゃない、となります。この場所でやりたいという強い思いがあれば、妥協はしません。立ちはだかる壁に対してはアイデアで解決し、この方法ならできるというのが自分の中で出来上がるまで考えます。

今はお互いの役割として、僕が新しいものを生んで、運営チームの大西さんに渡すという流れになっています。僕は、その時には最高のものを渡したいんです。実際、グラミンカの入り口にある看板は、なくても営業はできる。けど、あの看板からグラミンカとして始まるんです。作品を作っている感じで、納得できる作品ができるまでは渡せないんです。

やりたいことのためには、自分の決めたことをやり切る。満足するまで、とことんやり切る。これは座右の銘で、大切にしている言葉です。

■これから全国の地方部で、グラミンカのビジネスモデルを知り、それをきっかけに起業しようとする人が出てくると思います。1年間の地獄と天国があり、表のキラキラだけを見てしまうと、失敗してしまって人生を棒に振ることにもなりかねません。起業に関して失敗しないようにするポイントはありますか。

—端的に言うと、「覚悟」です。自分だけでやるわけではないので、いろいろなところに話をしに行きました。佐用では6棟を買いましたので、当然、大きな覚悟がいります。家を譲り受けるときも、プロジェクトメンバーを集めるときも、自分たちの思いに賛同してもらう必要があるわけですから、熱い覚悟が必要ですよね。他にも町役場やいろいろなかたのところへ行きましたが、強い覚悟を伝えないと、人は動いてくれない。周りも動かないから、プロジェクトも進まない。だから、覚悟を持って臨むということにつきます。

起業する人は増えてほしいですが、ただ、安直にして欲しくはない。グラミンカにも人生に悩む人が相談に来てくれますが、安易に起業は勧められません。だって、本当にしんどかったから。

僕が教師をしていたことを知って、先生を辞めたいと相談しに来てくれる人もいます。ただ、辞めてやりたいことが見つかっていないし、教えることを嫌になったわけでないのなら、僕は教師を続けたほうがいいと伝えます。

起業に夢は詰まっていると思いますが、厳しい現実が待っているのもまた然りです。お金の話になりますが、辞めると、金銭的な環境も一気に変わります。公務員だったときは、4,000万円の住宅ローンを組むよう勧められていた。ところが辞めると100万円さえすぐに借りられなくなるんです。そんな状況も、起業の夢や希望とセットで伝えていけたらと思っています。僕は教師を辞めて覚悟が決まりましたが、宿泊業はコロナで大きく左右される世界です。正直、この佐用でのプロジェクトも、出口の見えないコロナ禍の中で、宿泊業の未来に光が見えない状態が続いていました。正直、プロジェクトを止めたほうがいいのではないかという話も何度もありました。ギリギリの判断を、みんなでやってきたんです。相当の覚悟がないとやっていけないですね。

■大野さんが、態度で示す「覚悟」、言葉に発しない「覚悟」はどんなことですか。

—「すぐ動く」ことですね。連絡をもらったら、「すぐ行きます!」と答えていました。会うことでしか伝わらないことってあるので。僕は会いたがりますね。そこで話す表情、言葉じり、温度でしか伝えられないことがあります。こうやって話していることを、メールで同じことを書いたって伝わらないです。だから僕は静岡にもとんで行きましたね。家の所有者に話をしに行って、コーヒーを1杯飲んで帰ってきました笑。会うって、大切なことです。

■佐用町での起業環境、起業に対する姿勢はどういうふうに感じていますか。

—感謝しかありません。コバコの存在は大きいです。コバコから町商工会や役場を紹介してもらいましたが、どのかたもいないとここまで来られなかったです。助成金だけでなく、気持ちの面でも行くと元気になって帰ってこられると感じていました。助成金は当然要件に該当しないと動かせませんが、僕が熱意を伝えていたからか、心の面でもバックアップしていただきました。

起業環境としては、良かったという印象です。助成金の対象経費が、これも使えたらいいのになというのはありましたが笑。ビジコンはすごくいいですね。ビジコンがあるところは、町のイメージがすごく変わると思います。

田舎の需要は上がってきていると感じています。未来が不安視される今、これからは都市と地方の分散型になると思います。ニーズを導くのが市町村や県の仕事なので、迷いなく、かつスピード感をもって地方創生に取り組んでもらいたいです。

佐用町ではチャンスの風が吹いていると思います。1人でも2人でも来てもらえたらいいですね。

■佐用町で、こうしたほうがいいのに、と思われた点はありますか。

—僕は、佐用町への移住者や、起業する人が増えたらいいなと思っています。すでに佐用町には役場の移住促進事業や空き家バンク、町商工会の支援などの制度が整っていますが、他の市町村も同じような取り組みをしているはずです。だとすると、移住を希望するかたへ、よりいっそう佐用町の特徴を生かした移住のインパクトを大きくし、移住後のビジョンをもっとイメージしてもらいやすくする必要があると思います。

移住希望者の多くは、喧騒的な都会を離れ、自然のある場所でゆっくりとした時間を豊かに過ごしたい、その中で知り合う人とあたたかいコミュニティを楽しみたい、そう思っていると思います。先輩移住者の姿を中心に、そのイメージをホームページやSNSで発信できたらいいですね。あと、移住後のビジョンとセットで、家や仕事、支援制度などが一気にアプローチできる仕組みがあればいいなと感じました。

■では、大野さんのような人が移住を考えている人と話すのは、インパクトはあると思いますか。

—そこはグラミンカで体験をやってもいいと思っています。ここには東京や京都から来ているスタッフもいますので、移住を希望するかたとのマッチ率は高いはずです。ビジネス感にも触れられますし、仕事の体験もできます。グラミンカからもいいイメージを受け取ってもらえると思います。移住者のかたも紹介できますし、つながりを作れたら、いいなと思ってもらえるきっかけにもなると思います。

■大野さんの将来のビジョンについて、神河、佐用を経た今、どういう世界観をお持ちですか。

—今までは教師としてチョークしか持っていませんでしたが、今はアイデアやクリエイティブ能力に自信を持ってきています。むしろ持たないといけないなと。ここまでのことをやってきましたから。今後は、自分のアイデアを出していける場所を広げていこうと考えています。宿泊、もの、プロジェクト、ジャンルを問わずアイデアを出せる場所を広げて、何かを豊かにしていきたいです。

それにはやっぱり「笑顔が生まれる場所づくり」がキーワードです。出会ったときに、形を変えて新しいものをやっていきたい。次は海かもしれないし、ビルかもしれない。笑顔が生まれる場所を創造できるなら、またリスクを取ってでもやりたいです。自社事業でなければ、コンサルティングのような役割でもいい。場所は選びません。チャレンジする、できる環境があることはすばらしいことです。

あと、誰とつながるかにもワクワクしますね。高校で授業する機会をもらったんですが、教員を退職してもう一度別の立場から教育に関わることができて、うれしく思います。

今後、同じものをやるつもりはありません。常に新しいことに取り組み、ワクワクするものだけに人生の時間を使っていきたいからです。すでに僕が持っているノウハウが必要とされるのであれば、どんどん伝えていきたいと思っています。

僕らは、まだまだ小さい会社です。2018年に神河町の「glaminka KAMIKAWA」をオープンしたときにはたくさんの視察が来られました。そのとき、大きな企業が同じようなことを始めたとしたら、僕らはひとたまりもないんじゃないかとビクビクしたのを覚えています。数年たった今ではその不安は消え、逆に自信につながってきています。大きな会社にはできない細やかな事業展開やお客様へのサービスは、僕らにしかできないんだ、と。お金だけに頼らず、アイデアで他社との差別化を図っていきたいと思っています。

そしてこれからも、プロジェクトが完成した後の景色を楽しみに取り組みたい。そのときには全然違う景色が見えてくるはずですから。

周りの景色が変わっていくという作業を経て、そのときに自分がどう思っているか、楽しみでなりません。自分が、何ができるかわからない。自分がどうなっているかわからないことに、やっぱりワクワクします。Ⓨ

ダイジェスト版は、「さよう星降る町のビジネスプランコンテスト」でご覧ください。

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