世界の片隅にも届く、心に響く歌[ミュージシャン 谷本賢一郎さん]

NHK Eテレ「フックブックロー」のけっさくくん役としておなじみ、ボンバーヘアがトレードマークの谷本賢一郎さん。実は兵庫県佐用町のご出身なんです。現在は学校や幼稚園でのライブ、災害地域でのボランティア活動のほか、野外音楽フェスに出演したり、さまざまなアーティストと共演したりと新たなフィールドで活躍を続けられています。音楽を始めたきっかけは? いま、子どもたちに届けたいメッセージとは? 佐用町駅前の「コバコ」で、たっぷりとお話を聞いてきました。

一度くらいは自分の好きなことで勝負してみたい

佐用町上月地区のご出身なんですよね。

はい、上月地区で生まれて、保育園・小学校・中学校とずっと上月で育ったので山で遊んだり、夏は佐用川で鮎を採ったり、秋になったら母親と籠を背負って栗拾いしに行ったり。兼業農家なので、田んぼの手伝いもやっていました。

自然豊かな佐用町での暮らしのなかで、音楽に触れるきっかけは何だったんでしょうか。

僕が中学2年の時、友達のお兄ちゃんがビートルズのCDを持っていて。その頃は電子音楽やテクノ音楽が流行ってた時代だったんですけど、ドラムの生音とかエレキのギャーン! って響く音がかっこよく感じたんですよね。それで聴くようになりました。

上月中学校を卒業した後、龍野高校、そして信州大学に進学されます。その頃からずっと音楽を志していたんですか?

いえ、全然。歌で生きていきたいっていう漠然とした夢はあるけど、歌手なんて無理だろうってずっと思ってて。もともと、人前で表現するのが苦手なタイプだったので、大学に入ってもサークルには入らず、ずっとひとりで部屋で歌っていました。だけど大学でいろんな人と出会うようになって、東京に出てみようかっていう気持ちになったんです。

それはミュージシャンになるために?

いや、そんな立派なものじゃなく、都会に住んでみたいっていうミーハーな気持ちの方が強かったと思います。音楽で食べていけるとは思ってなかったので、一般の会社に就職しました。そこの仕事があまり合わなかったんですが、上司がすごくいいひとで「お前はこの会社に向いてない」みたいなことを言ってくれて。そうするうちに、ずっと心にあった“一度くらいは自分の好きなことで勝負してみたい”という気持ちが大きくなっていったんです。

ロックバーの歌うたいから、NHK歌のお兄さんに

仕事をやめて好きなことに挑戦してみようと。

そうです。やっぱり歌を歌ってみたいと思って。で、東京でボブ・ディランが大好きなマスターと知り合って、そのロックバーで働きながら歌っていました。自転車で通える、家賃2万6千円の共同トイレ・風呂なしのアパートに引っ越して。それを5年間続けました。

下積みが長かったんですね。

3年働いたんですけど、そのバーで上々颱風のリーダー紅龍さんと出会って、一気に世の中に出たいと思うようになりました。紅龍さんとは「ボブ・ディラン研究会」っていうのをやってたんです。誰に発表するわけでもなくただ昼間に会って、ボブ・ディランの歌詞を日本語に変えてギター2本で歌っていました。そして、上々颱風のコンサートを生で見て、僕もこんな風になりたいと強く思うようになりました。

それまでは認められたいっていう自分の欲求だけでしたが、人が感動する音楽に直に接することで、“歌う”ということをものすごく考えるようになったんです。


ロックバー「My  Back Pages」で歌う若かりし頃のタニケンさん。

ボブ・ディランバーが人生の転機になったんですね。

実はこの髪型になったのも、そこなんです。ボブ・ディランみたいにしたいと思って。全然違うんだけど(笑)

特徴的なヘアスタイルが、ボブ・ディランきっかけとは! バーを辞めてからはどうなさってたんでしょう。

バーを辞めた後、学生時代から縁があった社会風刺コント集団ザ・ニュースペーパーの代表から「替え歌で入らないか」と声をかけてもらったんです。もっと自分を試してみたいという気持ちで、思い切ってお笑いの世界に入りました。そのザ・ニュースペーパー在籍中に『フックブックロー』のお話をいただいて。

これもご縁だと思うんですけど、『フックブックロー』の脚本と作詞をされていた方が山川啓介さんだったんです。「北風小僧の寒太郎」や「聖母たちのララバイ」など、日本にすごい作品をたくさん残している方で。その山川さんが長野県の上田市出身で、僕は信州大学のときに上田に住んでいたことから、仕事だけでなく本当に息子のようにかわいがっていただきました。
「歌はもっとこんな風に歌うんだよ」「子どもたちに歌を届けるには、日本語の美しさも大事だし、字幕がなくても耳から入るように言葉の意味を考えてきっちりと歌わなければならない」と。歌うことの楽しさはもちろんですが、同時に繊細さも教えていただきました。そういうことを経験するうちに、ちゃんと音楽を突き詰めたいと思って、40歳のときにザ・ニュースペーパーを退団しました。


絵本『フックブックローであそんじゃおう』(小学館)

夢を叶えることはできる。どこにいたって、誰だって

現在は、ボランティア活動にも精を出されています。

佐用町の水害の時ももっと関わりたかったんだけど、当時は政治的な替え歌を歌っていたのでボランティア活動に参加するのが難しくて。悔しかったです。

3.11が起こったときは、もう『フックブックロー』が始まっていたので「今こそだ!」って。2014年にキャンドルジュンさんに出会って、彼は毎月、月命日に福島県内のいろんな場所でキャンドルを灯して、町の人たちと交流してらしたんですよね。実際にお話をしてみると、透明に地道な作業をされているすごく優しい方で。
世の中に政治的な主張はそれぞれあるけれど、それよりもそこに住む人たちがどう幸せに暮らしていくのか、どう笑顔で楽しく暮らせるか、そのことが僕は大事だと思っています。


Song of the earth niigata 2018

3月11日にはビッグイベントが控えています。

東日本大震災から9年目を迎える3月11日は、Jヴィレッジという福島県の巨大施設で「SONG OF THE EARTH」が開催されます。MONGOL800のキヨサクさんやTOSHI-LOWさん、細美武士さん、ハナレグミ、オレンジレンジなど同じ気持ちを持ったミュージシャンがボランティアで集結します。僕も出演するんですが、子ども達に喜んでもらう歌を歌いながら、ジャンルの違うミュージシャンと一緒に何かできるのがおもしろいですね。


3.11に向けた、タワーレコードの「NO MUSIC, NO LIFE.」MORE ACTION, MORE HOPE.版ポスター。

今後の展望や目標があれば、教えてください。

いろんな町や田舎に行って歌うとき、僕を子どもの頃から育ててくれた近所のおばちゃんやおばあちゃんに歌ってるような思いで、親しみを込めてその町のひとに歌っています。

僕が小さい頃は、都会で流行ってる人が田舎に来ることもあまりなかったし、音楽に触れることも少なかった。だから、小さな街でも直に触れられるようなライブを続けたいと思います。今、同世代のミュージシャンといい出会いをしている最中なので、いつかこの佐用町にも、何か届けられることができたらいいな。そのためには、もっと頑張んなきゃね(笑)。

最後に、佐用町の子ども達にメッセージをお願いします。

「こんな大人もいるんだよ」って伝えたいです。好きなことをやり続けて、こうやって音楽の仕事をしてる人もいるんだってことが記憶に残ればいいな。自分のやりたいことは可能性がある限り、挑戦して欲しい。挑戦した先に失敗があっても、そこから先にまた何か可能性があるから。
(田舎にいると)都会の方がいろんなものが叶うんじゃないかって思いがちなんだけど、そんなことはない。必ずできる、誰だって。やりたいことを叶えるチャンスは必ずあるんだっていうのを、言葉じゃなくて歌うことで伝えたいと思っています。

LIVE SCHEDULE

2019年3月10日・11日 SONG OF THE EARTH FUKUSHIMA 311
2019年4月7日 第13回佐用町桜まつり

リリース情報

『うたの店長さん~Suteki Song Shop あしたははれる~』(キングレコード)2月27日発売


谷本賢一郎さん

1974年4月23日生まれ。兵庫県佐用町出身。NHK Eテレ「フックブックロー」けっさくくん役として出演。現在は、ファミリーコンサートやイベントでのライブ活動のほか、学校コンサート、ボランティア活動もライフワークの一環として行なっている。FUJI ROCK FESTIVAL、New Acoustic Campなど野外音楽フェスにも出演し、活動の幅を広げている。
谷本賢一郎公式サイト