「渋谷の証券会社の課長」から「佐用の海苔屋の社長」への転身[光海(こうみ)株式会社代表取締役社長 岡田正春さん]

今回は、佐用の海苔屋さんを事業承継され、佐用町へやってこられた光海(こうみ)株式会社代表取締役社長 岡田正春さんに、会社経営や今後の人生の展望、東京と佐用町での暮らしの違いについてお聞きしました。

資本主義に対するクエスチョン

―なぜ、第三者承継で佐用町に来ることを選択されたのですか。

僕がこれまで勤めていた野村證券は勤続25周年で表彰されるんですけど、それが嫌だったんですね(笑)。まあ、漠然と25年で辞めたいなと思っていました。また、リーマンショックがあったりして、けっこう心が折れていました。その時期に、資本主義についてクエスチョンがつきましたね。

―事業承継の準備をはじめられたのはいつ頃ですか。

2017年ごろ京都支店で勤務しながら、並行して同志社大学の大学院に通っていたんです。 そこで浜先生[※浜 矩子(はま・のりこ)。経済学者、同志社大学大学院ビジネス研究科専門職学位課程教授]に出会って。先生のインテリジェンスがすごかったんですよね。「金融というのはこういう人のことを言うんだな」と思いました。「本当の金融」というものに触れると、仕事とはどんどん乖離していくわけです。

―ということは、「本当の金融」を学んだことが2019年の事業承継につながるわけですか。

当時、京都支店から渋谷支店に転勤になって、その時期に父親から後継者のいない人が知り合いにいるって言われたんです。それが海苔屋さんだっていうわけです。 その時期に、ニュースピックス(ニュースアプリ)のセミナーに参加しました時、講演したリクルートを辞めて中学校の校長先生になった藤原和博さん[※東京都初の民間人の中学校長。教育改革実践家]という方の話を聞いて、結構、刺激されたんです。

その次に登壇した三戸政和さん[※株式会社日本創生投資 代表取締役CEO、著書『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい(2018)』]が主催するセミナーへ行く機会があったんですね。 そこで、「社長に向いている人の条件は何ですか」と聞いた人がいて、そしたら三戸さんが「いろいろあるんですけど、強いて言うなら嘘をつかないことですかね」とおっしゃったんです。それやったらイケるかなと思って(笑)。

佐用町に来て、衝撃を受けた

―そのセミナーで、事業承継・M & Aにどんどん触れていったということですか。

そうですね、事業承継にものすごく興味が出てきたんですね。事業承継・M & Aという手法を使うことで個人でもできるということを、三戸さんが言われたのです。 当時、M & A っていうのは会社と会社をくっつけるというイメージがありました。なかなか個人で、というイメージはなかったですからね。

―その後、佐用町に来られるわけですが、その時に感じた印象を教えてください。

佐用町に初めて来たのが2019年の2月なんですが、衝撃を受けました(笑)。 会社の会長さんは父の同級生なので、会社に関しては事前に聞いていて衝撃はなかったんですが、佐用駅を降りたとき、町に対する衝撃はありましたね(笑)。 また、会長さんたちとの話やそこで得た経験から、会社というものに対しての愛情がすごいんだなということがわかりました。 会社を引き継ぐまでに12回佐用町を訪れたなかで、地方の事業承継はエモーショナルなものが大きいというふうに感じましたね。

―従業員のかたとの関係づくりで工夫されていることはありますか。

「1on1」(ワン・オ・ワン)ミーティングで話をするのと、朝のあいさつや食堂で皆と一緒に昼食をとった後の会話を楽しんでいます。 交換日記みたいなものもあるんです。海苔に関するプロフェッショナルの集まりだから「プロフェッショナル流儀帳」っていう名前なんですよ(笑)。 ホワイトボードに実験中のプロジェクトの内容を書いたりもしていますし、 最近は、直接話すことが多いですね。

―サラリーマンから急に経営者になったわけですが、変わった部分はありますか。

一番はルーティンワークがないということですね。朝から何が起こるかわからないんです。入社して3日目ぐらいに、水道管が破裂したんですよ(笑)。本当に何が起こるかわからないから、スケジュールなんて吹っ飛びます(笑)。思考が変わるし、いろんなことをジャッジする機会が増えるんですよね。 そうすると、結果オーライの思考になってくるというか、まぁいいやって思わないと続けてられないんです。100点は取れないですけど、60点でいいかなと。1ヶ月たったら60点になっている場合もありますね。

―今まで、これは失敗したなという経験はありますか。

ちょっとした失敗なのですけど、人事異動を初めてしたことです。証券会社時代は、異動は急に言われるんです。それで同じようにしたんです。だけど、皆さん今まで異動を経験したことがなくて。突然朝、人事異動を言ったもんだから、皆さんは一瞬、凍っちゃったんです。それで一時的に動揺したっていうか、ざわつきました。 だから今はオープンにしています。会社はみんなのものと思っていますから皆が納得して答えを出したなら、オッケーにしています。今はもう、僕一人で決めようと思わないですね。

好きなことをやった方がいい

―会社を承継して良かったなと思う部分はありましたか。

そりゃあもう、良かったですよ。だって今までと全然違う人生じゃないですか。今になって、サラリーマンに向いてなかったなってやっとわかりました(笑)。今でも野村證券の人と会うんですけど、みんなに顔つきが優しくなったって言われますね。 あと、事業承継は地域承継だと思っています。だから、地域の人たちと今まで以上にやっていかないといけないし、地域の人たちを愛していかないといけない。地域に関わっていくなかで感じているのは、地方にある資源の価値(暗黙知)は非常に高いんじゃないかということです。 これからグローバル化がどんどん進んで、日本人って何なんだろうと悩むことが多くなると思います。でも、地方には地方の歴史という暗黙知があるが、東京にはないのです。ルーツを知って自立していることが大事なわけです。しかも野菜が余っていたりもするし、自給自足100%じゃないですか(笑)。

来てみて思うんですが、本当に、佐用町に住む人たちは好きなことをやった方がいいと思う。 「若い人はみんな出て行く」って言いますけど、東京にいてどれほど能力が高くても、人が多すぎて椅子取りゲームの椅子には座れない。でも、地方には椅子が余っている。ただ、それには、自分が興味を持って楽しまないといけない。 僕は答えがないことに興味があるんですよね。サラリーマンには予算を達成するとか答えがある程度あるわけじゃないですか。でも、企業経営は答えがないんですよね。明日どうなるかわからない。だから、爆裂に面白い(笑)。 最初は悪くても、後に繋がるかもしれない。そういう経験を、今いっぱいしています。

まず、自分たちが楽しむ。

―最後に、会社として将来やりたいことと、佐用でやりたいことを教えてください。

私の会社は海苔屋です。日本の伝統的な食を守りたいと思っています。また、食分野以外でも伝統ある百年企業のような会社の存続を応援したいと思っています。後継者が不足している会社さんについては、事業承継・M&Aの紹介を通じて、会社が永続する仕組みづくりをお手伝いしたい。 こうやって、地域の会社さんがそのままの形で残っていくことが、地域承継であり、そのことでしか、地域の産業の良さは伝えられないと思っています。こういった経済活動を通じて、地域としての佐用町の良さを一人でも多くの人に伝えていきたいと思っています。

それに、何もないからこそイノベーションは 起こるので、地方のほうがイノベーションは起きやすいんです。だから、若い人はここでイノベーションした方がいいと思う。 このような場所にドローンの学校があるなんて考えられないです。世界初のドローンの空港ができたのは、アフリカのルワンダです。不便なところほどイノベーションが起きやすいので。人口減とか、不便だと嘆くのではなく 課題が多いところほどイノベーションの宝の山だと思ってほしい。 ただ、その環境をみんなで楽しまないといけない。人を呼ぶんじゃなくて、まずは地元の人がどう楽しむか。ドローンの免許をおじいちゃんとかおばあちゃんがみんな取って、それでギネスブックに載ったらいいわけです(笑)。 これから世界中の人が研究しに来ると思いますよ。だって、佐用町ではしょっちゅう変化がおきているんですから。人を呼ぶのも大事ですけど、まず自分たちが楽しくないといけない。 だからうちも、「地球に優しく人に優しく笑顔を作りましょう」という経営理念を掲げてるんですけど、やっぱり、まず自分たちが笑顔じゃないと。それだけで人は興味を持ちますよ。

少しお話を伺うだけでエネルギッシュなかただとわかったのですが、お話を聞けば聞くほど、どんどんエネルギーをもらえました。 僕たちも知らなかった佐用の可能性を知ることができ、「自分たちも一歩を踏み出そう!」と思わせられる、とても熱いかたでした。

インタビュアー:タニグチユウイチ

ライター:ミヤウチタケシ

カメラマン:タニグチヨシミ

 

岡田正春

大手証券会社「野村証券」にて25年間勤務。在職中には法人営業のほか、和歌山県和歌山市を本拠地とする社会人サッカークラブ「アルテリーヴォ和歌山」の設立も手掛けた。2019年9月1日より第三者承継という形で佐用町内にある海苔製造会社「光海(こうみ)株式会社」の代表取締役に就任。